アバカスサーキットF0満点への道のり〜13年間の記録〜【前編】

#154

物事を長く続けるべきか続けないべきか。自分なりに判断していかないといけません。長く続ければ良いというわけではないのです。変化の波に飲まれないよう、行動パターンを柔軟に変えていくことも時には必要です。

ただ、どうしてもずっと続けたいこともあります。僕にとってそれは「暗算」です。2001年5月にそろばんを始め、今年で20周年になります。まだまだ飽きることなく続けていこうと思っています。

さて、アバカスサーキットという通信競技において、1月にF0クラスの問題で初めて満点を取りました。これはずっと目標にしていたことで、この目標を達成するためにそろばんを辞めなかったといっても過言ではありません。

しかし、これまでの道のりは平坦なものではなく、度重なるブランクや引退を経て、今の自分がいます。そこで、せっかくなので満点までの13年間の記録をまとめてみようと思います。その過程で大事だと思ったこと、皆さんにも参考になるかもしれない内容もお送りしたいと思いますので、どうか最後まで読んでいただけると嬉しいです。

尚、アバカスサーキットの問題の難易度については、運営するサンライズ様のサイトを参照ください。

内容が長くなるので、【前編】【後編】に分けました。今回は【前編】です。

【後編】はこちら

これから、時期ごとのF0の点数一覧を紹介していきます。

見てもらうとわかるように、途中でやめていた時期が何度もありました。それでも少しずつ点数を上げていき、最終的にはめでたく300点の頂上まで登りつめたのでした。それでは、時期ごとに振り返っていきます。

★F0デビューからの軌跡〜中学時代〜

色字は最高点更新、太字はタイ記録

F0クラスは、その下のF1クラスの問題で290点以上取らないといけません。中1の4月に231点でしたが、練習をしまくったおかげで8月に292点を獲得。その次の9月から参加することになりました。

デビュー戦は139点ビリから10番目くらいだったことを覚えています。ビリになりたくなくて、必死に練習しましたね。

特に、中2になってから点数が急激に上昇。この年の「全大阪オープン珠算選手権大会」という全国大会に出場したことが大きかったですね。6桁×5桁の暗算を分割で練習していたのです。

周りの人と比べて上達が遅かったため、5桁×4桁からは分割でやっています。多くの人は一括でやっていると思いますが、自分には難易度が高かったのです。諦めて分割に専念し、少しずつスピードを上げることができるようになりました。

あとは、「周りの人に早く追いつきたい!」という思いが強かったですね。当時練習していた頃の記憶はほとんどありませんでしたが、夢中で問題用紙とにらめっこしていたと思います。

周りの仲間の存在というのは、とても大きいものです。ライバルや上手な人たちがいたから、自分ももっと上手になりたいと常に思うことができたのです。当時一緒に練習していた仲間たちは、皆暗算十段に合格しています(全珠連)。今思うと、とてもすごい環境で練習できていたんだなと…!

誰かと比較する必要はないけれど、刺激を受けることは良いことです。お互いを高め合って成長していくことが、上達への近道なのです。練習環境の良し悪しが上達に大きく影響することを、身を持って感じました。

中2の12月に250点を超えました。1年間で100点近く上げたことは自分でも驚きです。周りの方々には感謝の気持ちしかありませんね。

とはいえ、成長のピークは長く続かず、ここから苦労の歴史が始まります。1年間で100点上げたものの、ここから12年間で50点を上げるための闘いとなるのです。

公立の中学校に通っていたため、中3になると高校受験がありました。練習量が減っていき、なんとか現状維持することで精一杯でした。ここはじっと堪えるしかありませんでした。無事受験で合格し、また練習に復帰することができました。

★孤独な闘いへと突入〜高校時代〜

色字は最高点更新、太字はタイ記録

高校に入り、最高点を更新していきました。高1の4月に270点を突破し、8月からは4回連続の278点。12月にようやく280点を突破しました。

受験でなかなか練習できなかったわけですが、一気に開放された気分でしたね。受験期で頑張っている方には、受験が終わったらぜひとも練習を猛烈にこなしてほしいものです。

さて、この頃から、練習仲間が減っていった印象が強いです。仲間一人ひとりがいつ辞めたのかはよく知りませんが、教室に来る回数は減っていたように思います。中学時代は夜9時まで5, 6人で練習していたことが当たり前だったのが、高校になると1人や2人になることが多かったのです。

仲間の存在。孤独に練習していて初めて、仲間がいることの有り難さがよくわかりました。もちろん、自分なりに目標を立てて点数を上げていったわけですが、仲間がいないと寂しいものでした。環境って大事ですよ、ほんとに。

高校2年の時点で、最高286点までなんとか上がりました。点数を上げることができたのは、自分なりに目標を立て、「290点を目指したい!」と強く思っていたからです。よほど好きなことでないと、この強い気持ちは維持できないかもしれません。しかし、290点になかなか届かず、悔しい思いをたくさんしてきましたね。

そして、ここでもまた大きな壁がやってきました。そう、大学受験です。

高3になり、練習回数は激減。月1回、アバカスサーキットの本番をやるために教室に行っていました。しかし、思うように点数は上がりませんでした。当然です、練習が足りなかったのです。上がるほうがおかしいですね笑。

半年ほど、完全にそろばんから手を引きました。受験勉強をがんばり、納得のいくかたちで大学に進学し、練習に復帰したかったのです。そのためには休むしかありませんでした。

そして、なんとか第一志望の大学に合格。練習を再開していったわけですが、ここで思わぬ展開が待っていたのです…。

★部活や勉強との両立で苦労、そして引退〜大学時代〜

色字は最高点更新、太字はタイ記録

実は、中学高校はずっと帰宅部でした。片道1時間かかる教室に通っていたからです。

それもあって、人と話すことに極度の苦手意識がありました。他人と話が続かないし、話せる共通の話題がなかったのです(今もそうですけど…笑)。友達も少なかったです。この状況を何とかしたいと思い、大学では部活かサークルに入ろうと思っていました。

下記の記事でも書いているように、僕は体育会の卓球部に入ることになりました。初心者なので、当然たくさんの練習が必要でしたね。技術面や人間関係で失敗を繰り返し、辛いこともたくさんありました。結果的には良い経験だったんですけどね。

そして、勉強も当然やらないといけません。部活が忙しくて、空き時間を見つけて何とか課題をこなしていました。電車の中でウトウトして、降りる駅を通り越して乗り過ごしたことは無数にありましたね。

大学という新しい環境で四苦八苦していたことで、当然そろばんに割ける時間は減っていきました。それでも、高校までの実力をキープしつつ、大学1年生の9月に初めて290点を超えました。しかし、そこからは点数がなかなか上がりません…。

大学2年となり、部活の練習量が増加。後輩もできたことで、より一層練習に励む必要があったのです。それもあって、アバカスサーキットでの点数更新はできていませんでした。

そして、2015年3月。大学2年も終わる頃、僕は一つの決断をしました。そろばんの引退です。

点数がこれ以上上がらなかったこと。現状維持すらできていなかったこと。部活に専念しないといけなかったこと。様々な要素が混ざり合って、ついにやめることにしたのです。

達成感もありましたが、悔しい気持ちも残っていました。とはいえ、もう練習することはないだろうと思っていました。

しかし、これでは終わらなかったのです。この続きは【後編】で書きたいと思います。

【後編】はこちら

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

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