「嫌われる勇気」を読むー7(終)

#37

今や本屋で見かけないことはない名著として、「嫌われる勇気」(岸見一郎・古賀史健著、ダイヤモンド社)がありますね。

この本は、僕の今まで読んできた本の中で、最も影響を受けた本の中の一つです。今でも時々読み返すことがあります。

ここまで6回にわたり「アドラー心理学」について、自分なりに書いてきました。今回は、今までの内容を振り返る「まとめ」という形で書いていきたいと思います。まだまだ理解できていない部分が多いため、拙い説明になるかと思いますが、予めご了承ください…。

第1回では、「世界はシンプルである」という話から始まっています。私たちは普段の生活の中で悩むことが多いけれど、見ている世界というのは自分の主観が混ざっています。これを、

景色(=周りの世界)をレンズ越しに(=自分の主観で)見るようなもの

と表現していましたね。自分の解釈次第で、人生が楽しくも苦しくもなるということですね。

また、ある人の行動を考える際、「原因論」ではなく「目的論」で考えます。「人の行動には必ず目的がある」という考え方です。過去の出来事が今の行動を決めている(=「原因論」の考え方)わけではありません。自分の考え方、行動次第で自分を変えていけるということでした。

第2回では、「すべての悩みは対人関係の悩みである」という、アドラー心理学の基本的なスタンスについて書きました。「悩んでいる内容には、誰かしらの存在が隠れている」という考え方ですね。

そして、誰かと比較をしたり競争したりすることは、自分の人生を不幸にしてしまいます。相手と全く同じ人間ではないですから、自分が相手より優れている点も、劣っている点もあります。そういった事実をしっかり受け入れる必要があります。

自分と他人を比較するのではなく、
今の自分と理想の自分を比較する

そういった考えにおいては、劣等感を持つことは悪くないのです。

第3回では、対人関係で上手くやっていくための基本的な考え方である「課題の分離」という考え方について書きました。

他者の課題に介入せず、自分の課題には介入させない

という考え方を身につけることが大切でしたね。

また、アドラー心理学では承認要求を否定しています。何か良いこと、名誉あることを成し遂げたとしても、他人が評価をしてくれるかどうかはわかりません。評価をするかしないかは他人の課題であって、自分の課題ではないのです。

たとえ相手に認められなくても、自分で評価をし、前に進んでいくことが大切です。承認要求には終わりがないため、たとえ認められたとしても、また誰かの評価を求めようとしてしまいます…。課題の分離という考え方が大事になってくるのです。

そして、アドラー心理学では、

自由とは、他者から嫌われることである

という考え方があります。周りに認められよう、褒められようとして行動すると、それは他者の人生を生きることになります。上に書いたように、承認要求はすべきではないのです。

他者からの評価に気にせず、他者に流されずに、自分の意志で行動できることが「自由」であるといいます。「嫌われようとする」のではなく、「嫌われることを恐れるな」ということでしたね。

第4回では、アドラー心理学の中でも最も重要な考え方の一つである「共同体感覚」について書きました。

我々の周りには、様々な共同体があります。細かいものを含めたら無数にあるでしょう。

大切なことは、「一つの共同体にこだわりすぎないこと」です。ある共同体では上手くいかないことがあるかもしれません。その際に他の共同体に居場所を見いだせるようにしていかないとやっていけないのです。

そして、叱ったり褒めたりすることを強く否定しています。どちらも相手を「操作」することになるからです。学校ではこういった賞罰教育が行われているため、いじめなどの深刻な問題が起きているのです…。

第5回では、「叱る」と「褒める」ことに対する問題点について説明し、それに変わるものである「勇気づけ」について書きました。

上に書いたように、「叱る」ことも「褒める」ことも、相手を「操作」したり「評価」したりしているのです。この2つを使ってしまうと、本当の良い関係を築くことはできません。

「勇気づけ」では、相手を評価するのではなく、自分の気持ちを素直に伝えます。「ありがとう」や「助かった」などがありますね。相手を評価しようとすると、上から目線で相手と接してしまうため、関係がギクシャクしやすくなってしまうのです…。

上下の関係として接する「縦の関係」ではなく、対等な立場で接する「横の関係」を築いていく

相手が誰であれ、この考え方で接していくことが求められると思いました。

そして第6回では、共同体感覚を身につけるために必要な3つの要素、「自己受容」「他者信頼」「他者貢献」について書きました。

今のありのままの自分を受け入れ、前に進んでいき(自己受容)、良い関係を築いていきたい人に対しては無条件に信じる(他者信頼)。そして、他人の役に立てたとき(他者貢献)、「自分には価値がある」と思えるのです。

以上のことを6回に分けて書いてきましたが、すべての内容が密接に関わっており、切り離すことができません。すべての考え方が大切であり、どれか一つ欠けてしまうと、対人関係に何らかの問題が起こってしまう可能性があります。

そして、日頃の生活の中で悩んでいること、ムカムカしていることがあったら、アドラー心理学の内容を思い出すべきです。理解するためには、自分の実際の行動と向き合っていくことが大切だからです。

最後に、僕が部活動に所属していたころの話を書いて終わりにしたいと思います。色々と振り返ってみて、「もっと早めにアドラー心理学に出会っていたらな…」と今では思います。とはいえ過ぎた話なので、今を悔いなく行動するよう心がけています。

今年の3月から、3ヶ月にわたりアドラーに関する記事を書いてきました。また気が向いたら関連する内容を書いていきたいと思っています。ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました…!

 

 

大学に入って、初めて体育会卓球部に入りました。周りは経験者ばかりで、自分は練習についていくのが大変でした。

ハンディキャップを抱えていた当時、周りからの指導や支援が必要でした。先輩方にお世話になりつつも、心の中で「初心者なのだから指導してくれるのが当然だろう」という考えが芽生えてしまっていました。

コミュニケーションが上手く取れず、周りには迷惑ばかりかけてしまっていた。しかし周りから何かを「与えられる」ことばかりを考えてしまっていた。自分ができることを全く考えず、自分中心でしか物事を考えられていなかった。

自分に自信が持てず、相手の悪いところを探していた時もありました。そんなことをしても自分には何も利益がないのに…それをわかっていたのにそうしていたのです。自分の部活での立ち位置がどうあるべきかわからず、色々と迷ってしまっていた。

当然、こんな気持ちでは部員の人と上手くやっていけるはずがありません。特に部活の同期には迷惑をたくさんかけてしまったし、自分のことを嫌に思っている人がいるかもしれません。そう言えるほどの愚かな行為をしてしまっていたということを、引退してからやっと気づくことができました。

部活の人には、謝っても謝り切れないです。「僕のことを許さない」という人がいても、それは仕方がありません。今できることを、地道にやっていくしかないと思っています。

今は、部活での教訓を活かそうとしています。相手をありのままに受け入れ、偏見を持たずに接していく。自分には何ができるかを考え、行動していく。簡単なことから、自分の悪いところを直していきたいと思っています。

引退してから部員の人と会う度に、思うことがあります。それは、「自分は周りの人たちに支えられていたんだ」ということです。

こんな自分と関わってくれた部員たちには、感謝しかないです。部活をやっていたからこそ、今の自分がいる。部活をやっていたからこそ、生きていく上での大切なことを学ぶことができました。

これからも、部活のためにできることはやっていきたいし、人との出会いを大切にしたい。今は、素直にそう思えます。