「嫌われる勇気」を読むー5

#33

今や本屋で見かけないことはない名著として、「嫌われる勇気」(岸見一郎・古賀史健著、ダイヤモンド社)がありますね。

この本は、僕の今まで読んできた本の中で、最も影響を受けた本の中の一つです。今でも時々読み返すことがあります。

今回は「嫌われる勇気」を読むの第5弾ということで、前回に引き続き、第四章に書かれている「共同体感覚」や「賞罰」に関する内容を元に、「横の関係」や「勇気づけ」という考え方について、学んだことや考えたことを書いていこうと思います。

前回までの記事をまだ読んでいない方はこちらを読んでからご覧ください。

どんなことが書かれているか?

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0.前回の内容について

1.怒らない、褒めない

→代わりの方法がある!

2.勇気づけをすべき

→相手を評価しない!

3.縦の関係から横の関係へ

→評価をしないことから始めよう!

4.まとめ

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0.前回の内容について

前回は、共同体感覚の大まかな説明と賞罰の否定について書きました。まとめを引用させてもらうと、

共同体感覚というのが、「小さな共同体だけではなく、より大きな共同体についても考えよう」ということ。

「叱る」ことや「褒める」ことが、相手を操作し、評価してしまっているということ。

でした。

さて、叱るのも褒めるのもダメであれば、いったいどうすれば良いのか。アドラー心理学では「勇気づけ」という考え方を提案しています。その事については後で詳しく書こうと思います。

まずは、日常でイライラしたときや相手がすごいことをしたときに、どのような行動を取ればいいかを書いていきます。

1.怒らない、褒めない
→代わりの方法がある!

怒りというのは相手を自分の思い通りに従わせる、コスパの良い手段です。しかし、それを使ったとしても効き目はありません。人は、誰かに操作されたり従わされるのが嫌いです。その場では効き目があったとしても、また悪いことが再発する恐れがあるのです。

怒りを使わない方法は何なのか?

色々なケースがありますが、まず押さえておきたいのが、「相手が悪いことを知らないでやってしまった場合」です。この場合、相手には悪気がありません。知らなかったからついやってしまったのです。その場合は、「こういう時は〜すべきだよ」と教えれば良いのです。怒る必要はありません。

自分が何も知らなかったのに怒られたとき、「知らなかったんだから仕方ないじゃん…」と思ったことはありませんか?嫌な気持ちになりますよね。相手が本当に知らなかったとき、怒りを使うことで相手に不信感を与えてしまうのです。再発防止のために丁寧に教えてあげれば、相手もしっかり受け止めて行動してくれるはずです。

とはいってもこのケースはそんなに多くなく、大概は「悪いことを知ってて悪いことをしているケース」が多いのです…。学校でそういう人はいませんでしたか…?

では、どうして彼らは悪いと知ってて悪いことをするのでしょうか?怒られるのは嫌なのに、どうして敢えて怒られるようなことをしてしまうのでしょうか…?

これは承認要求の問題が絡んできます。人は誰かに認められたいと考えがちです。そこでまず行うのが、良いことをして相手に褒められようとするのです。

学校を例にあげると、相手に親切なことをしたりとか、テストで良い点数を取ったりとか…。実は賞罰教育がある環境では、周りよりも優れよう、褒められようというバトルがクラスの生徒の中で勃発しているといいます。

僕自身も昔は競争が好きでしたから、プリントを誰よりも早く仕上げて先生に採点してもらおうといった、周りを意識した行動をしてしまっていました…。

しかし、全員が良い評価を得られるわけではありません。できる人がいれば、できない人もいます。褒められようというバトルにおいて、優劣が出てきてしまうのです。良いことをしても、周りは褒められて自分は褒められない…。自分はこのままでは認められない…。

そうなると、彼らはもはや褒められようとするのを諦めます。逆に悪いことをすることで先生の注目を集め、認めてもらおうと行動してしまうのです。

そのため、悪いことをすることで先生が注目してくれることが、彼らの望むことなのです。ただ無意味に悪いことをしているのではなく、しっかりとした目的があるのです(これは第一回で書いた「目的論」という考え方です)。

先生側からすれば、生徒たちに喧嘩を売られていることになります。そこで怒りを使ってしまうと、相手の喧嘩にのることになってしまいます。だから先生は怒ってはいけないのです。

怒るのではなく、相手の話を聞いたりすることでしっかりと向き合うことが大切です。理想としては、承認要求をしなくても良いことを教えるべきですが、それはかなり難しいことです。特に世間の学校は賞罰教育で染まりきっているため、簡単に変えることはできません…。

上手くまとめられていませんが、怒ったり褒めたり、さらには承認要求をしてしまうことで、様々な問題が起こり得るのです。それがいじめや学級崩壊につながっていることは言うまでもありません…。

承認要求などを無くしていくためには、自分は自分であり、他者と比較する必要がないことを地道に教えていかないといけません。その事については次回に詳しく書きたいと思います。

さて、相手の良さを伝えたいときに褒めてはいけないのであればどうすべきか?それが、次に書く「勇気づけ」です

2.勇気づけをすべき
→相手を評価しない!

端的に言えば、「ありがとう」とか「助かった」といった言葉をかけることです。

これらの言葉と褒めることの何が違うのか?

それは、「相手を評価しているかどうか」です。

「ありがとう」や「助かったよ」という言葉は、自分の気持ちを相手に伝えるもので、相手のことを評価していません

一方で「〜できてすごいじゃん」や「よくできたね」という褒め言葉には、相手に対する自分の評価が含まれているのです。

2つの見分け方は、言葉の前に「私」と「あなた」のどちらを付けられるかによって決まってきます。「助かった」と「すごいね」を例に取ると、

助かった
私は助かった

すごいね
あなたはすごいね

「私」を付けられる場合は「勇気づけ」、「あなた」を付けられる場合は「褒める」ことになります。

もちろん、これはあくまでも見分けるための一つの基準であって、全ての言葉に当てはまるわけではないと思います(どちらかわからないものもあるはずです)。また、相手が自分と親しいか、そうでもないかによっても、言葉の意味合いは変わってきますよね。

そこらへんはとても難しいところですが、大事なのは、たとえ自分が相手を褒めたと思っても、実は「相手は上から目線で見られて嫌な気持ちになっている場合がある」ということです。これは知っておくべきですね。

人によって、言葉の捉え方は様々です。良い言葉が悪い言葉になったり、その逆もあります。特に誰かの行動に対して声をかける場合には注意が必要だと思いました。

3.縦の関係から横の関係へ
→評価をしないことから始めよう!

2で書いたように、怒ったり褒めたりするというのは、相手を「操作」する行為になっています。同時に、立場の上の人が下の人に下す「評価」にもなっているのです。

「評価」というのは、時には嬉しいものであり、時には悲しいものであったりします。先程も書きましたが、評価によって相手を傷つける場合もあることを忘れないようにすべきですね。

また、たとえ褒められたり、良い評価を得られて嬉しいと思っても、人間というのはもっと良い評価を得ようとします。つまり承認要求を強めていくことになります。

しかし、承認要求には終わりがありません。誰かに認められたとしても、時間が経つとまた認められたいと思ってしまう。そして、認めてくれないと相手を敵だと捉えてしまう。「評価」には恐ろしい面があるということですね…。

しかし、勇気づけで出てきた「ありがとう」や「助かった」という言葉を聞いたとき、自分が他人の役に立てた、貢献できたと感じることができます。そして、また相手のために役に立ちたいと思えるのです。このときは相手を評価していません。

このように、誰かを上から目線で捉えることなく、仲間という立場で相手に感謝することが大切です。つまり、縦の関係(上下がはっきりしている関係)から横の関係(仲間という関係)に変えていくべきということですね。

もちろん、すぐに関係を縦から横に変えることは容易ではないと思います。僕自身も、相手を上から目線で見てしまうことが時々あるためよくわかります…。

まずは相手を評価せず、自分の素直な気持ちを相手に伝えることから始めてみると良いのではないかと思います。自分の気持ちがしっかり伝われば、相手もしっかり対応してくれるはずです。相手を下に見ず、あくまでも対等に接することが大切だと改めて思いました。

4.まとめ

ここまで、まとまりのない文章になってしまいましたが、いかがでしたか?

相手に怒ったり褒めたりするのではなく、勇気づけをする。

どんな相手でも対等な立場として、評価せずに接していく。

ということが今回のポイントですね。

次回は「貢献」ということにピックアップして、今までの内容を織り交ぜながら書いていこうと思います。

長くなりましたが、読んでいただきありがとうございました。

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