「嫌われる勇気」を読むー4

#31

今や本屋で見かけないことはない名著として、「嫌われる勇気」(岸見一郎・古賀史健著、ダイヤモンド社)がありますね。

この本は、僕の今まで読んできた本の中で、最も影響を受けた本の中の一つです。今でも時々読み返すことがあります。

今回は「嫌われる勇気」を読むの第4弾ということで、第四章に書かれている「共同体感覚」や「賞罰」に関する内容を元に、学んだことや考えたことを書いていこうと思います。

前回までの記事をまだ読んでいない方はこちらを読んでからご覧ください。

どんなことが書かれているか?

 


 

0.これまでの内容について

1.共同体感覚とは?

→対人関係のゴール地点はどういうものなのか

2.賞罰教育はダメ!

→叱ってはいけない、褒めてもいけない

3.まとめ

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0.これまでの内容について

これまでの3回で、目的論や競争、課題の分離などについて取り上げましたね。

行動には必ず何かしらの目的がある」という考え方や、「他人と競争や比較をせず、自分は自分である」という考え方。そして、「課題の分離をすることが対人関係の入口である」という考え方がありましたね。

今回は「共同体感覚」という、アドラー心理学の中でもコアな内容が出てきます。僕自身、まだ理解しきれていない部分がありますが、理解している範囲で説明できればと考えています。

1.共同体感覚とは?
→対人関係のゴール地点はどういうものなのか

課題の分離が、「対人関係の入口」としての考え方であるのに対し、共同体感覚は、「対人関係のゴール」と言われる考え方です。つまり、共同体感覚を理解し、それを実践することができれば、対人関係での悩みはなくなっていくということですね。

まず、共同体感覚は何かというと、

他者を仲間だと見なし、そこに「自分の居場所がある」と感じられる

ということで、「幸福なる対人関係のあり方を考えるもっとも重要な指標」といわれています。

説明文を見る限り、そんなに難しくないように思われます。他者を仲間と考えることは大切なことですし、自分の居場所があれば理想ですよね。

しかし、共同体感覚というのはそんなに単純ではありません。共同体というと、学校や家族などの狭いものを指すかもしれませんが、ここでの共同体というのは、それだけでなく、国家や宇宙といった幅広い世界、さらには過去から未来への時間軸についても考慮するのです。

これについては、僕もすぐにはピンと来ませんでした。スケールが大きすぎるのです…。

すべての共同体において、「ここは自分の居場所だ」も思うことは難しいですよね。どうしても、「この人たちとは相性が合わないな…」というケースが出てきてしまうはずです。

また、「学校や会社で対人関係がうまく行かず、家に引きこもる」という人も中にはいます。一つの共同体でのトラブルにより、外に出られなくなってしまうのです。

こういった背景がある中で、共同体感覚を理解するために押さえたいこととしては、

一つの共同体だけでやっていこうと考えないこと

だと思っています。たとえ学校などで対人関係のトラブルがあったとしても、あなたの味方になってくれる共同体はあるはずです。家族や親戚、習い事の友達など、周りとの繋がりが支えになるのです。色んな共同体があることを頭にいれておくべきですね。

僕自身も学科や部活、体育会本部など、様々な共同体に囲まれ、ここまで何とか過ごせています。特に周りの共同体に所属する人には、感謝しないといけないですね。

また、自分自身の意識としては、

自己への執着」から「他者への関心」へ切り替えていく

ことが求められます。要するに「自己中」になるなということですね。

自分勝手に行動したり、相手に迷惑をかける人は「自己中」と言われますが、「他者の視線を気にしすぎている人」も実は「自己中」に含まれます

「他者からどう見られているか」ばかりを気にかける生き方というのは、「わたし」にしか関心を持たない自己中心的な生き方なのです。他人を意識しているようで、自分のことしか見ていない…。こういう考え方は直したいなと思っています…。

今回は、上手く説明できていませんが、共同体感覚については今後もしっかり理解を深めて書いていこうと思っています。わかりにくい文章でこめんなさい…。

2.賞罰教育はダメ!
→叱ってはいけない、褒めてもいけない

前回の投稿で、「承認要求」をしてしまうことの背景として「賞罰教育」があるということを書きました。つまり、「叱る」ことと「褒める」ことですね。

叱る教育」と「褒める教育」のどちらがいいかを考えることがありますが、アドラー心理学ではどちらも否定します。それはなぜかというと、「叱る」ことと「褒める」ことのどちらも、相手を「操作」している行為だからです。

叱ることがいけないというのは、大体の人がわかると思います。相手を正しく行動させるための(悪く言えば自分の思い通りに行動させるための)行動ですよね。たとえ相手を自分の指示の通りに行動させても、相手がそれで納得しているとは限りません。むしろ、かえって反発されやすいのではないでしょうか?

「叱る」というのは、相手を従わせるためのコスパの良い手段ですが、必ずしも必要ではないのです。というより、「叱る」必要はないのです。しっかり相手と対話をして理解を深めながらトラブルを解決していけば、それでいいのです。

次に「褒める」ことについて。これも相手を「操作」する行為と考えます。どういうことかというと、

能力のある人が、能力のない人に下す評価

とアドラー心理学では考えます。

簡単な例を挙げると、子供が皿洗いをしてくれたとき、母親は子供に「よくできたわね」と言って褒めるかもしれません。しかし、同じ言葉を夫に向かって言うでしょうか…?

実は知らないうちに誰かを上から目線で評価してしまっていることがあります。上の例だと、「子供は皿洗いをする能力は低いけれど、今回は見事にやってくれた」という考え方が頭の中に潜んでいるのです。

このように、できる人ができない人を評価するという、「縦の関係」が出来上がっているんですね。

「叱る」というのも、上の人が下の人を評価しているものなので、「縦の関係」を作っているのです。

「縦の関係」を作ってしまうと、対人関係でトラブルが起こりやすくなってしまいます。ではどうしたらいいかと言うと、「縦の関係」ではなく、「横の関係」を作るべきなのです。

つまり、上下の関係ではなく、「たとえ先生と生徒のように立場は違うけれど、対等である」という考え方を元にした関係です。その際、誰かを評価することはしないのです。

この考え方については、次回でも詳しく書こうと思っています。

3.まとめ

今回はなかなか難しい内容でしたが、

共同体感覚というのが、「小さな共同体だけなく、より大きな共同体についても考えよう」ということ。

そして、

「叱る」ことや「褒める」ことが、相手を操作し、評価してしまっているということ。

これらが今回の大切な考え方です。

特に共同体感覚の内容は理解が容易ではなく、僕も誤解しているところがあるかもしれません…。より理解を深め、今後この記事の内容をより良いものに改善していければいいなと考えています。

また、本の細かい内容は書いていないため、興味を持った方はぜひ「嫌われる勇気」を読むことをおすすめします。

長くなりましたが、読んでいただきありがとうございました。

 

次の記事はこちら。

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